「路哲(ろてつ)」ねぇ。とても、読書会、勉強会には見えないなぁ。貴方達が読むのは、本ではなくて社会の空気じゃないんでしょうか?

  • 2026-5-24
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ども、のすたるじいです。

左派、いや薔薇のしばき隊の路上抗議活動って、「路哲(ろてつ)」というらしいですね、ただ、なんでロゴが簡体字っぽいの? もしかして、大栄区の影を見せるアピールですか? とても、読書会、勉強会には見えないなぁ。貴方達が読むのは、本ではなくて社会の空気じゃないんでしょうか?

なんでロゴが簡体字っぽいの? https://assets.st-note.com/production/uploads/images/183502395/rectangle_large_type_2_a2b8d37f566fd7b2706e16759db03b72.png?width=1280

以下、世界のなべくらさんのnote+からの引用です。御本人に解説願いましょう。野球意外タブーなしって、野球ファンは排除ってことですか? まあ、イデオロギー以外の対立があるからわからんでもありませんが。あっ、最後の画像に髭とグラサンなしのなべくらさんが見切れてますね。

路哲とは何か


路上哲学読書会というのを去年の東京都知事選以降続けている。
既に9か月ほど継続しており、金曜の新宿の会に関しては一人で終わった事が無いのが今のささやかな誇りだ。

目的は東京都知事選で勝たせる為に力を尽くした蓮舫が小池百合子のみならず石丸伸二に負けた事が衝撃的で、あの清潔感はあるが話の中身は空虚で加虐的である様が僕らの世代が生涯かけて戦う相手だと感じ、そしてこの路上哲学読書会はそれらに対して個人が出来る最も原始的で的確なプロテストに成りうると考えているからだ。

路哲の形式はどのような形か

路上で、今の社会での是正すべき問題提起のプラカを置く。そして本を持ち寄る。プラカの前で読む。
これだけだ。そもそも路上は自由なんだから勝手にすればいいんだが、僕は基本的にコレを路哲を構成する要素にしている。

なぜプラカを置くのか
東京都知事選以前、僕は衒学的なコミュニティで遊ぶ事に夢中になっていた。学術的な知識で世界を面白く読み解く営みの面白さをペダンティックな語り口で読み解く。90年代で言うところのと学会 のようなコミュニティで陰謀論やインフルエンサーの強弁などを茶化して笑っていた。学者や学生、知識に敬意を持った人と関わるのは心地よかった。しかし都知事選が始まった時、小池百合子というどう解釈しようとしても人種差別主義者で人権意識という意味で首長にふさわしくない人間がまた勝とうとしている状況下でだれも動かなかった。選挙は自分が出馬しない以上最もマシな候補者を選ばなければならないという勝負だ。路上で小池百合子を引きずり下ろす為、蓮舫を勝たせる為に頭を下げチラシを配り、唾を吐かれたり、暴言を吐かれても頭を下げている人が居るにもかかわらず、すべての候補者に対してもペダンティックな姿勢を変えないその友人たちのあり方に耐えられなかった。潮時だと思った。

ペダンティックである自任を表明する事は本当にペダンティックな人間を皮肉る意味を込めての在り方なのだが、本当に戦わないといけない現実に対しても”ペダンティックである”という芸の在り方を崩さないのは、それは皮肉ではなくやはりただのペダンティックでしかない。皮肉にならなくなってしまう。だから社会に対して名指しでキッチリ指摘する勇気と責任を負わなければ笑えない。普通の生活なら良いのだが、選挙という実務的な制度で、自らの主張の精度だけに固執して許容できない要素を多少含んでい居たとても最もマシな人間の為に目をつぶって頭を下げれない人の心の幼児性に耐えられない。
という事で、ペダンティックと評せる言論界隈と、あらゆる事にペダンティックであるという皮肉をしつつ社会に対して責任を負う事からは避けるあり方も否定しつつ、世の中を笑うためには路上に立ってちゃんと指摘ししながら、学び、批評しているというのが第三者にも見える形式である必要性があるのだ。

あと、勘違いされたくないのだが「頑張っている人を批判するな」という道徳を説きたいのではない。頑張っていても間違えている事は自分より権力のある人間ならなおさら指摘して笑うべきだ。政治の場合、明確に人権侵害している人間に打ち勝とうとしている対抗馬までも指して笑う、そういうあり方は人権意識に反するので受け入れられないし、なんなら明確にそれは社会契約に基づいた社会を破壊する行為だから反対するという事だ。

トランプアホすぎプラカ https://assets.st-note.com/img/1744266366-ycXh8NGOzj3ar2TFBu1VZiHI.png?width=4000&height=4000&fit=bounds&format=jpg&quality=90
戒厳令が出された時の維新の馬場代表のとんちんかんなXポスト https://assets.st-note.com/img/1744266973-5qiBxLo3gNhfWERdwrS2HDOc.jpg?width=4000&height=4000&fit=bounds&format=jpg&quality=90
政治や宗教の話もすべきという意味での野球以外タブーなし https://assets.st-note.com/img/1744267043-LaNq7JsMAy8bWDTvhIjkuCiR.jpg?width=4000&height=4000&fit=bounds&format=jpg&quality=90
安藤たかおの隣でスタンディング https://assets.st-note.com/img/1744267091-3zVsReLaCJ9DpNZwIiSbKWy2.jpg?width=2000&height=2000&fit=bounds&quality=85

なぜ読むのか、何を読むのか

これに関しても基本的に好きにすりゃいいのだが、僕自身は近代民主主義を形成する礎になった古典を読むように心掛けている。目的は石丸伸二的な時代を象徴する空虚さや反知性との闘いのつもりなので古典的な知識を学習しなければならないしそれを学習している事を示さなければならない。路上に立つ多くの人が馬鹿じゃない、ちゃんと文脈を有している事を示すためにも何を読んでいるのか分かるほうが良い。
今は近代民主主義についての本、ルソーの社会契約論からはじまりハンナアレントの革命について、ロールズの正義論を読んでいる。
他にも名指しで批判しつつ、なぜそれがダメなのか、なぜそれがおかしいのか、どう是正することが出来るのか?を分析すべき対象はある。
消費社会や広告、ジェンダー、経済、マルクス主義的な文脈での本寸法の左翼思想体系など。

展望

この路哲は明確にhiphop文化のサイファーを模倣している。学術は大学教育からだけではなくストリートからも湧き上げていけるはずだ。大学に行けるというだけでも既に現状では特権なのだ。だからこそ、路上から学問、路上から政治、路上から芸術が、路上から文化が生まれるべきだという思いがある。路哲を通じて僕自身も学習しするが、それに関心を持ってくれた人の中から世の中を変える政治家や言論人、アーティストが生まれる事を強く望む。

駿河屋フィギュア

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