- 2026-2-28
- コラム
- 2月28日は、連合赤軍が軽井沢のあさま山荘に人質をとって籠城した「あさま山荘事件」が終結した日 はコメントを受け付けていません

ども、のすたる爺です。
1972年の2月19日から「あさま山荘事件」が発生、10日間の攻防の末、2月28日に終結しました。当時、3歳の誕生日を迎える前だったので、詳細はもちろん理解できませんでしたが、鉄球による山荘破壊と放水は記憶に残っています。
1972年2月の「あさま山荘事件」では、当時の後藤田正晴・警察庁長官の下で現場を指揮したのが、1986年に初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏。織田信長の家臣だった佐々成政のご子孫であられます。
1954年、東大卒業後に警察庁に入庁。77年に防衛庁に出向して官房長、防衛施設庁長官などを歴任し、86年から89年まで初代の内閣安全保障室長を務めた。この間ソウル五輪警備など豊富な実践体験を積み「危機管理」という用語を作った。著書は「危機管理のノウハウ」など。
実は、私は佐々淳行氏とお仕事をしたことがあります。現「ブシロード」社長木谷高明氏の仲介で歴史小説作家の中里融司氏にお供して、織田信長の危機管理戦略についてインタビューさせていただきました。まだまだゲーム業界で駆け出しだった私としては、今より浅い歴史知識しかなかったにも関わらず、貴重なお話を伺いました。私の人生において、お仕事をした一番偉い人です。
戦後70年、佐々氏は事件をこう回顧した。
「山荘での立てこもりだけでなく、『総括』として、仲間をリンチで殺害していたことにも国民は大きな衝撃を受けた。メンバーたちの革命運動に一部同情的な世論もあったが、冷めるきっかけとなった」


メンヘラでゲーム業界引退に追い込まれた“しくじりゲームクリエイター”です。現在は障害者雇用農園で農作業に邁進中。玩具、ボードゲームの愛好家。老後に同好のでも集まったら、常設のボードゲームスペースでも開きたいとも思ってます。









