- 2026-1-6
- コラム
- オールドメディア全盛の時代… はコメントを受け付けていません

ども、のすたる爺です。
アラ還を迎えた私が産まれた、昭和40年代。テレビのドラマがテレビ映画と呼ばれなくなり、テレビの放送も白黒(モノクロ)からカラー放送へと移り変わる過渡期でした。先日60周年を迎えたウルトラ(空想特撮)シリーズの第一作である「ウルトラQ」もモノクロ作品です。
テレビは一家に一代、茶の間の中心だった
今の世の中は、テレビが各部屋に一台ずつだった時代を経て脱テレビな時代に入っていますが、昭和の頃は一家に一台しかなく且つ茶の間の中心に鎮座し、一家で同じ番組を見てました。もちろん、チャンネルの優先権も家長である父、不在のときは母にあり、ご機嫌を損ねぬように良い子にして、アニメや特撮を見せてもらうというのが常でした。思えば、野球好きだった父は私が野球を理解できる小学生になるまでは、野獣中継見るのを我慢してくれてたんだなと、今思えば感謝してます。
私は、先日本籍地を埼玉に移すまで、本籍は宮崎でありながら生まれも育ちも埼玉でした。なのでテレビのチャンネル数も多く恵まれた環境で育ったことにも感謝してます。が、チャンネルが多いということは裏番組を見れるのに見られないというジレンマにおちいります。子供の頃、雑誌には載ってるのに見たことがない作品や見る番組を変えたので作品の結末を知らない作品なんてのもありました。




変身(第二次怪獣)ブームの頃、「ミラーマン」の裏だった「シルバー仮面」を見てませんでしたが、後番組の「アイアンキング」は見てたので、逆に「ミラーマン」の終盤を見られませんでした。似た例では「バビル2世」の後半も「流星人間ゾーン」を見てたために見られませんでした。「人造人間キカイダー」「デビルマン」を見てたので、「8時だよ!全員集合」も荒井注時代は見てなくて、志村けんからの記憶しかありません。まあ、アニメや特撮は再放送されることも多かったので時間をかけて補完できたケースもありますが。
受動的に情報を受け取り取捨選択するしかなかった時代、ブームに流される人生でしたが、コンテンツ自体も今よりも少なかったので、いろんなことに興味が持てて良かったかなとも思います。逆にコンテンツが溢れている現代は、サブスクなどで自分から見るものを選んで見られる環境を享受しつつ、この先進歩していく環境を何処まで見られるのか老いた現状が恨めしくもあります(笑)

メンヘラでゲーム業界引退に追い込まれた“しくじりゲームクリエイター”です。現在は障害者雇用農園で農作業に邁進中。玩具、ボードゲームの愛好家。老後に同好のでも集まったら、常設のボードゲームスペースでも開きたいとも思ってます。









