- 2026-2-26
- コラム
- 90年前の今日、歴史を揺るがす「二・二六事件」が起きました はコメントを受け付けていません

ども、のすたる爺です。
先の衆議院選挙をもって、雪といえばで想起されると左翼に「桜田門外の変」と共に並び称された「二・二六事件」が、90年前の今日起きました。私的には、決起の理念や時代背景の如何を問わず、テロリズムによるクーデターで国政を変えようとしたことに擁護の余地はないと考えます。
事件の裏には、皇道派と統制派による主導権争いがあり、前年の相沢事件(1935年)からの流れも込みで考える必要があるでしょう。
相沢事件とは、皇道派の相沢三郎陸軍歩兵中佐が、統制派の重鎮・軍務局長永田鉄山少将を陸軍省において白昼斬殺した事件である。被害者側の名前から、永田事件、永田斬殺事件とも呼ばれることもあります。
実はこの事件を予見し。事前に手を打とうとした人物が陸軍にいました、「ヒグチ・ルート」で4000人以上のユダヤ難民を救い、キスカ島からの撤退や終戦(無条件降伏受諾直後)の占守島でソ連軍相手に奮闘したことで知られる樋口季一郎です。相沢は事件の直前まで樋口の部下だったのですが、皇道派に傾倒し過激な言動を繰り返す部下の相沢に対し、樋口はその危うさをいち早く察知していました。樋口は相沢を「真面目だが厄介な難物」と評し、重大な事件に発展することを防ぐため、上層部に彼を台湾へ転任させるよう進言しました。結果として、相沢の台湾行きが決定したことが事件の引き金になってしまったことは皮肉なことです。
相沢事件は、陸軍内における皇道派と統制派の内紛の末に起こった事件であり、翌年2月の「二・二六事件」に繋がった出来事の一つであると言えるでしょう。「二・二六事件」が失敗に終わることで、陸軍の主導権は統制派が握り皇道派は左遷され、日米開戦へと歴史の歯車は加速していきます。
この事件を論じるに当たって、後世の人間は多角的な情報を知りえるため、俯瞰で対極を見極めることもできます。が、当時の人々は各々の視点からの最善を目指して動いた結果であって、故に後世に大きな教訓を与える事件でした。もちろん、現代の視点から見れば失敗した軍事クーデターに擁護の余地はなく、この結果が統制派の勝利をアシストしたことからも悪手だったと言えるでしょう。
「二・二六事件」を語ること自体、軍国主義的だとして議論すら封殺するのではなく、年に一度くらい過去の事件に思いを馳せてみるのもいいんじゃないかと思います。
最後に皮肉な逸話を「二・二六事件」で襲撃した鈴木貫太郎侍従長にトドメを刺し損ねた結果、終戦時の内閣総理大臣として鈴木貫太郎総理の誕生につながったことが、歴史の偶然という恐ろしさを感じずにはいられませんね。

メンヘラでゲーム業界引退に追い込まれた“しくじりゲームクリエイター”です。現在は障害者雇用農園で農作業に邁進中。玩具、ボードゲームの愛好家。老後に同好のでも集まったら、常設のボードゲームスペースでも開きたいとも思ってます。









