84年前の今日、6月5日は先の大戦の命運をかけたミッドウェー海戦があった日です。

  • 2026-6-5
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ども、のすたる爺です。

84年前の今日、1942年6月5日です、太平洋戦争の戦局を決定づけた「ミッドウェー海戦」が開始されました。日本海軍は、真珠湾攻撃で活躍した航空母艦(空母)など4隻を失う大敗北を喫しました。日本側の死者は3,056人にのぼり、その中には多数の優秀なパイロットが含まれており、大戦末期の特攻作戦に繋がるダイソンはいでした。

では、何が、日米の命運をわけたのでしょうか?

あ、「大東亜戦争」をGHQが「太平洋戦争」と上書きされたという話。日中戦争や南方作戦を切り離して、対米戦争のみを扱う場合、「太平洋戦争」も一理あると思ってます。

真珠湾で“取り逃がした”空母を追う山本長官の執念

1941年12月8日(現地時間は7日)、日本によるハワイの真珠湾攻撃は日本側の一方的な勝利でしたが、アメリカ太平洋艦隊の空母は、島を離れていたため被害を免れました。米軍が日本の攻撃を察知していて逃がしたという陰謀論がありますが、各々の艦に明確な理由があるため、その陰謀論に私は懐疑的です。攻撃の可否に空母の存在を絶対視していな勝ったのが、不在でも攻撃したための落ち度だったとも言えますが、主力艦が戦艦だった時代に、そこまでの条件を大本営(海軍軍令部)に飲ませることが可能だったかは疑わしいところです。

日米が長期戦になっては勝ち目がないと感じていた連合艦隊の山本五十六(いそろく)司令長官は、いわば“取り逃がした”空母を攻め、早期に決定的な打撃を与えようと考えていたのは事実だと思いますが、攻撃目標に空母でなくとも石油備蓄施設の破壊を優先していれば、日本の優勢はもう少し長く続いていたかもしれませんが。。空母殲滅が絶対になった理由の裏には、1942年(昭和17年)4月18日に、米 航空母艦ホーネットから発進したB-25双発爆撃機ミッチェル16機が、太平洋戦争で初めて日本本土攻撃をしたドーリットル空襲があったのは疑いようのない事実でしょう。

アメリカ軍の飛行場があったミッドウェー島を攻撃して、そこに米空母をおびき寄せ、決戦に持ち込む作戦が練られとぃたのは。もっと早い時期だったとは思いますが、作戦計画を担う大本営(海軍軍令部)は、太平洋にポッカリと浮かぶミッドウェー島への補給は困難であるなどとして、作戦に反対していましたが、真珠湾攻撃を成功させた山本長官の発言力は大きく、上層部の「それじゃあやらせてみよう」という漠然とした判断で実行が決まったと、大本営(海軍軍令部)の参謀は後に証言しています。

そんな折に起きたのが、ドーリットル空襲でした。皇居のある“帝都東京”への初めての攻撃に対し、不意をつかれて十分な反撃もできなかったため、軍部は衝撃を受けました。この空襲は、アメリカ空母の壊滅をねらうミッドウェー作戦の追い風となり、実行に移されていくことになりました。

おごる日本軍と必死のアメリカ軍

当時は、真珠湾攻撃の興奮が冷めやらぬころで、海軍ではミッドウェーのあとは再びハワイ攻撃だ、その次はアメリカ西海岸だと、敵をあなどる風潮が広がっていたといいます。

実は、作戦がもくろみ通りに展開するかどうかをシミュレーションする図上演習では、日本に不利な結果も出ていました。ところが、連合艦隊の参謀長は「このようにならないように作戦を指導する」と述べ、リスクと向き合おうとはしませんでした。

一方、劣勢にあったアメリカは日本側の動きをつかもうと必死でした。直前に暗号の一部解読に成功し、日本側がミッドウェー島をねらっていることをつかみました。暗号が解読されている恐れがあることを予見できなかった海軍は、アメリカが暗号解読のために打電した「ミッドウェーは真水が不足している」という平文に引っかかり、暗号中に隠されていた攻撃目標のミッドウェー島を特定されていたのです。平文による緊急打電を罠だと見抜けなかったのも、海軍のおごりだったのかもしれません。これによりアメリカ軍は島の防備を固めるとともに、空母3隻などで待ち伏せする体制を取ったのです。

方針が定まらず大混乱に陥る日本軍

6月5日(日本時間)、4隻の空母から飛び立った零戦など108機は、ミッドウェー島の上空で待ち受けていた米軍機を圧倒し、島の施設を攻撃しました。ところが、歯車が狂い始めます。この時、空母には、アメリカ艦隊を攻撃するための魚雷を積んだ航空機が待機していました。しかし、ミッドウェー島へのさらなる攻撃を行おうと、現場の指揮官が方針を転換、魚雷を爆弾につけかえる命令を下します。山本長官はミッドウェー島への攻撃を東道だと考えていたとうですが、この本音を周知徹底しなかった、できなかったのもおごりが所以だと言えるかもしれません。

その直後、偵察に出していた航空機から、アメリカの艦隊らしきものを発見したという一報が入りました。指揮官は、爆弾へのつけかえを停止しろという命令を下しました。魚雷と爆弾は大きさや形が大きく異なるため、つけかえ作業には時間がかかります。混乱の中で、魚雷や爆弾がきちんと収納されないまま置かれる、危険な状態になっていたといいます。その間にミッドウェー島を攻撃した部隊が空母に戻り始めたため、甲板を空ける必要が生じ、航空機を発進させるのも難しくなりました。

この海鮮では、米軍も細かなミスを繰り返していましたし、後方の艦隊司令部が掴んだ情報を現場も掴んでいるだろうと共有しなかったこと、山口多聞少将の意見具申を南雲忠一中将が黙殺したなどという意見もありますが、それら些末なことが、大きく傾いた趨勢を覆せたかと言うと怪しいものです。

空母4隻を失ったこの敗北について、大本営は空母1隻喪失、1隻大破、逆に米空母2隻を撃沈したと発表、新聞は「太平洋の戦局此(この)一戦に決す」と全く逆に伝えました。真実を知らない国民は、ミッドウェー海戦に勝ったと信じて疑いませんでした。

ミッドウェーでの敗戦を隠したことをきっかけに、大本営は日本軍の被害は実際より少なく、戦果は大きく伝えるようになりました。国民が事実を知らされない危うさは、今も情報操作されたとレッテルを貼った政府見解を「大本営発表」揶揄されていることからも伺い知れます。

この一戦に勝ってれば戦争に勝てたとか。帝国海軍を賛美するつもりはありませんが、歴史の教訓として情報の重要さや戦略的敗北を戦術で覆すことの困難さを思い知らされます。

実は、今日6月5日は私の誕生日だったりします、しかし、父が生まれた年に起きたミッドウェー海戦の日に自分が生まれたというのには、妙な因縁を感じますね。馬子にも衣装というか、軍服着せると年相応の貫禄が出てます。

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