81年前の今日。1945年4月1日は、米軍による沖縄本島上陸作戦が始まった日

  • 2026-4-1
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ども、のすたる爺です。

81年前の今日。1945年4月1日は、米軍による沖縄本島上陸作戦が開始された日です。左派を中心に、沖縄は日本軍に捨て駒にされたなんて言われますが、まったくの嘘です。沖縄戦終了から返還までの期間を逆算で見れば、そう思われても仕方ない側面はありますが、日本軍はできる限りの増援と、約3,000人の特攻隊(総数の約6割)、水上特攻の戦艦大和の乗組員も3,000人弱と、限られた兵力と物資を投入し防衛に当たりました。戦闘中に起きた個々の惨劇や判断ミス、異常な命令・行動を挙げれば枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がありませんが、少なくとも開始時点では死守する覚悟で臨んでいたのは疑いようがありません。

ハクソー・リッジ、シュガーローフ、激戦地も多々有り、米軍にも相応以上の打撃を与えています。これを持ってしても捨て駒発言は看過できません。「じゃあ、何で水際で阻止しなかった」と、素人考えならそう思うでしょう。洋上で組織的に戦える艦隊は既に無く、水際に防衛線を敷けば艦砲射撃で戦う前に戦力を削られます。上陸させて地上で応戦するは苦渋の決断だったはずです。そもそも、それ以前に戦争を終わらせておけばは、私も賛同すべき点があると思う派です。国体の護持と一撃論で、絶対防衛権としたサイパン陥落後もズルズルと玉砕を重ねた指導部(大本営=海軍軍令部・陸軍参謀本部)の考えにも否定派です。が、それは後世の人間だから持てる視点で、当時の判断を一方的に腐すのにはどうかとも思います。

異論はともかく、実際に起きてしまった沖縄戦で亡くなった、多くの民間人及び日米両軍の将兵に哀悼の意を捧げたいと思います。

余談ですが、最近学校名に付けられ一部で物議を醸した「桜花」ですが、そもそも桜花という言葉に罪はなく批判ありきの材料にされたに過ぎません。そんな「桜花」は靖國神社遊就館でレプリカを修武台記念館でレストア機を今も見ることができます。私は前者は見ましたが、後者は実際には見ていませんん。が、1998年頃にゲーム開発の資料見学として空自の入間基地を見学中に、倉庫でレストア中の「桜花」を倉庫の隙間から見ています。多分後者と同一機だと思うんですが、本来の見学コースには組み込まれてなかったので定かではありません。

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