私の推しトラマン、その名はメロス!!

ども、のすたる爺です。

以前、書いていたブログでも使っていた挨拶のフレーズですが、直近では自虐的に語尾をっ「ぢゃ/じゃ」とか、敢えてジジ臭く演出していたんですが、演じなくても既に初老の爺なんで自然体で書きたいと思います。

で、3回目の今回は昨日の流れで、ウルトラマンを語ります。長文になり過ぎるのもアレなんで、当時の空気も交えつつ、さわりだけ書こうと思います。

第2期ウルトラマンが「ウルトラマンレオ」で終了したのが、1975年(昭和50年)3月28日。当時幼稚園児だった私は、小学館の「小学三年生」誌上で同年4月号から1976年3月号まで1年間連載されていた、「さよならウルトラ兄弟」という内山によるオリジナルストーリーのウルトラシリーズ外伝に触れる機会はありませんでした、存在を知るのは後年に「コロコロコミック」でリバイバル(再連載)されてからです。仕方ないこととはいえ、第1期ウルトラマン終了後に産まれたことと相まって、先輩方に少し劣等感を抱く部分ではあります。

私が小学校に進学し、スーパーカーブームによる消しゴム(カー消し)人気を経た1977年(昭和52)に「ウルトラ怪獣消しゴム」が発売され、時を同じくして1977年5月15日創刊した「月刊コロコロコミック」誌上で、翌1978年から「ザ・ウルトラマン」とと改題して「さよならウルトラ兄弟」や内山まもる氏の第2期ウルトラシリーズのコミカライズ短編や続編の「ファイタス編」が掲載され、後に単行本化されました。同1978年は、怪獣消しゴム人気に乗ってか、ポピーはソフビ人形の「キングザウルスシリーズ」を発売し、この好調なセールス機運が翌年の第3期ウルトラシリーズのアニメ「ザ☆ウルトラマン」へと繋がっていったのを実体験として覚えています。

コミックスによるザイオンス効果

私自身が、このブームの中で「ザ・ウルトラマン」及び「ウルトラマンメロス」推しになった背景には、ビデオデッキがまだ一般家庭に広く普及していなかった時代のため、ウルトラマンに繰り返し触れる媒体としてコミックスの力が大きく作用したんだと思います。

奇跡のショートアニメ化

小学館の学年誌連載から40周年にあたる2015年、ドワンゴとカラーによる共同企画『日本アニメ(ーター)見本市』の第30話として、原作のジャッカル編をショートアニメ化した『ザ・ウルトラマン ジャッカル 対 ウルトラマン』が公開されました。。『日本アニメ(ーター)見本市』のエグゼクティブプロデューサーの庵野秀明は、DAICONフィルムの自主製作特撮「帰ってきたウルトラマン」でウルトラマン役を素顔で演じて(当初は監督も)おり、その縁もあるのかなぁと邪推もしてしまいますが(笑)

そして、待望のアクションフィギュア化

ウルトラマンメロスのフィギュアというのは、今世紀になって続々発売されましたが、ガレージキットや高額スタチュー、ソフビ人形、トレーディングフィギュアなど無可動(もしくは間着による限定可動)のものが殆どでした。

そんな中、大手ではなくガレージトイに近い小規模メーカーのエヴォリューショントイから、ULTRA-ACTや旧ウルトラ怪獣シリーズと同サイズの17cm前後の「Hero Action Figure」シリーズで発売されました。出来に関して細かい批判もあるようですが、作ってくれただけで大満足。どう遊ぶかは、各自の創意工夫の見せどころ。最近、新品は倍額程度のプレ値傾向ですが、再販やリニューアル再販も多いメーカーなので、いつ買うか一考の余地はありそうですね。

駿河屋フィギュア

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